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日本戦国武将紀行 武田軍師・山本勘助晴幸公〔駿河三河甲斐信濃〕

日本戦国武将紀行 武田軍師・山本勘助晴幸公〔駿河三河甲斐信濃〕 1

日本戦国武将紀行

武田軍師・山本勘助晴幸公

墓所・供養塔・墓碑

「甲州武田の天才軍者・山本勘助、永眠の地とゆかり墓所(供養塔)」
「勘助の出生(出自)の系譜と子孫~概略参考系図~」
※調査中もありますが概略参考系図です。一時は実在しないとまで言われた軍師・勘助、系図では身内も含めて複雑な人生(養子等)だったようです。特に出生地は二つあり駿河吉野本家と三河牛久保の二つです。資料が少なく断定は出来ませんが、吉野本家(近くの山本を姓氏)から牛久保に行った山本貞幸の子供(一説に本人)ドラマ風林火山では兄を貞久(光幸)としていましたが兄または父とも言われそのあたりが先ずは不明な点がで、親族も不明な人物がいます。また勘助公の子供には養子もいて分かりにくいですが、流浪時代に二人、三河駿河から甲斐で三人または四人の男子と二人または三人の女子がいたようですがはっきりしません。ドラマでは妻は原鬼美濃虎胤公の娘(妹また姪?)となっていましたが、虎胤公の子供もはっきりはしていません。
【山本勘助晴幸公】wikipedia
時代 戦国時代
生誕 明応2年(1493年)もしくは明応9年(1500年)
死没 永禄4年9月10日(1561年10月18日)
改名 山本源助、大林源助、大林勘助、
山本勘助、晴幸、道安、道鬼斎(号)
別名 菅介、勘介
戒名 鉄巌道一禅定門
天徳院武山道鬼居士
墓所 長野県長野市、長谷寺(愛知県豊川市)他
主君 ? → 武田信玄
氏族 山本氏、大林氏
父母 父:山本貞幸、母:大橋入道の娘・安
兄弟 吉野貞継、石松、光幸、晴幸、
鶴(桑名城内室)、貞重
子 山本菅助(二代)、下村安笑(三男)

https://www.youtube.com/watch?v=FqFlI7Y3brI&t=4s